2017.02.13 Mon
ダイレクト出版
To: ダイレクト出版のみんなへ
From: 小川忠洋
昨日、一昨日、その前と、この3日間は
ザ・レスポンスのサミットに登壇。
久しぶりにお客さんの前で喋った。
4、5年ぶりじゃないかな。久しぶりに緊張した。
前々からこういうサミットをやって
お客さんのコミュニティ化を促進したいなぁと思って
やろう、やろうとは言ってはいたが、、、ついにできた(^^)
ザ・レスポンスのサミットでも社内研修でも、
同じように、いつも思うことがあるんだ。
つまり、学習は「主体的」なものだということ。
素材がどれだけ良いモノが用意されても、
自らが主体的に学ばない限りは、学びにならない。
本にどれだけ良い事が書いてあっても、
セミナーでどれだけ良い話をしても、
講師がどれだけ、素晴らしい人材であっても、
受け手が、学び手の方が、主体性がなければ学習にはならない。
じゃあ、学ぶ時の主体性とは何かと言えば、
一言で言えば、「疑問」「質問」。
日本人は恥ずかしがり屋なのか、気を遣うのか、
みんなの前となると、途端に質問をしなくなる。
そして、受身で講義を聴くことを好む。
これは、主体的に学んでいるとは言えない。
研修とかでも、
『こんな事も知らないのか?』
『バカだと思われるかも』
と思うからか、質問をしない。
それだと、学習は進まない。
受動的に話を聞くだけだったら、本を読めば良い。
(でも、本を読むにしても、疑問や質問を持って読むのと、
ただ、『何冊読んだ』
それじゃあ、せっかくの時間がもったいなくないか?
疑問を抱く、質問をする、というのは、『思考の始まり』なのだ。
だから、疑問を抱いてないのは、
成長する人間は、常に
『どうすれば、もっと良くできるか?』
という"問い"を抱えている。
"問いかけ"がなくなると、脳みそは動かない。
誰だって同じだ。
おれも昔、ロイスと毎週、電話でセッションをしていたときは、
毎週、何を問うべきか?何を聞くべきか?という事を考え続けた。
(そーじゃないと、話すことなんてそんなにないし(笑)。)
そしてやってみれば分かるが
「問うべきこと」を考えることはそれなりにしんどい。
つまり、けっこう、頭を使うってことだ。
だから逆に問うべき事を持っていないというのは、
頭を使っていないってことかもしれない...
疑問、質問、問い、
これらは、みんなが成長する上で、とても大切で、
遠慮して良いことなど何一つ起きない。
質の高い問いには質の高い答えが来るし、
質の低い問いには質の低い答えが来る。
つまりは、疑問や問いこそが、思考の源泉なのだ。
なので、研修やセミナーだけでなく、本を読むときでも、
「問い」を持ってのぞもう。それだけで大きな違いが出る。
そして、もっと大切なことは、
みんなが普通だと思っている事に「疑問」を持とう。
偉大な思想家はみんなそうしてきた。
忘れないように。
学習とは受動的なものではない。
学習は主体的にするもの。
どれだけ良い講師、よい素材であっても、
受け手が主体的にならないと、効果はない。
***
本や座学だけでなく、経験からも、
人は問いがないと大して学べない。
なぜ、上手くいったのか?
なぜ、失敗したのか?
繰り返し、繰り返し、自分に問い直そう。
さぁ、今週も、たくさん失敗してたくさん学ぼう!