From:小川忠洋
われわれの事業
ウチの事業は知識を売るという事で、
知識を売るという事は"教育"という事になります。
(売っただけで終わりでは教育ではないが、、)
最近、
この教育とはどんなものだったか?
とかいう事を考えます。
学校でぼくらが受けた教育は、
「教科書」をベースにした教室での授業でした。
その教科書は、その分野の専門家集団によって書かれて
教室は、それを理解した(?)教師によって生徒に教えられます。
考えてみれば、このような学校の教育方法が
可能になったのは、印刷技術が発展して
「教科書」を大量に印刷することが可能になったからでは?
とすると、グーテンベルクの印刷技術によって
そのビフォー・アフターで教育というものにも
革命的な変化があったんじゃないでしょうか?
印刷技術が生まれる前は、
おそらく、近所の賢いおじさんが私塾などを
開いて、そこに子供たちが集まる、寺子屋みたいな
形式をとってたんじゃないなでしょうか。
(憶測で書いています)
それだと良い先生の元で習った人は
優秀になるが、あんまりの先生の元で習った人は
どれだけ才能があっても、そこそこにしか
なれなかったんじゃないでしょうか?
それを印刷技術が
最高の知恵を全国統一して教える
という事を可能んしたんじゃないでしょうか?
当たり前に思えるようなこのような事も
当たり前じゃなかった時期があります。
では、今現在はどうでしょう?
ぼくらがいる時代では、
グーテンベルグと同じく比較される
技術革新がおきています。
改めて考えてみると、その技術革新が
学校に統一教育と「教科書」をもたらしたような
インパクトをもたらす可能性は、
"ない"と考えるほうがおかしいんじゃないでしょうか。
もちろんそれは学校だけに限った事ではありません。
本当の学習は学校を卒業してから始まるもので、
社会人になれば、今現在のわれわれのフィールドでもあります。
どのような変化が起きるかは
わかりませんが、ビデオ・ベースの教育などは
これから増えていくんではないでしょうか。
社会人にとって、教科書は
もしかしたら一冊の「本」かもしれません。
教科書をもって教師が教室で教えるのと
本をもって、専門家がビデオで教えるのは、
とっても似ていると思いませんか?
もし、このような学習方法が
教科書で算数を学ぶことと同じくらい
当たり前になったら、世界が変わりますね。
そういった変化の担い手となる
事業をしてるんじゃないかな?
そんな事を最近、考えています。
ま、こんな理想を持ちながら、
目の前の仕事に
ベストを尽くしていきたいですね♪