2014.05.19 Mon

ダイレクト出版

対立を通しての尊重

From:小川忠洋


こないだトヨタのマネジメントの本を読んでいて

とても共感できるポイントがあったので

シェアしたいと思います。


その本はトヨタの問題発見、問題解決の

手法でA3レポートという手法があるんですが、

それに関する本でした。


その中で「意見の対立」というもの

に関する話が出てて、それが非常に

共感できるものだったので。


大抵の人は

「意見の対立」

をめちゃめちゃ嫌います。


ほとんどの人にとって

「意見の対立」はイコール「ケンカ」に

近いものではないでしょうか?


人間は自分の意見を批判されたり否定されたりすると

「攻撃された」と原始的に脳が感じて、

その攻撃に対して、逆に攻撃仕返したり、

その攻撃から逃げたりする生き物です。


だから、自分の意見を批判、否定されると

ほとんどの人はその意見が合ってる間違ってる、

どこが足りない、どうこうという"論理的な反応"ではなく、

ムカッ!イラッ!といった

"感情的な反応"を示します。


身に覚えありますよね?


自分の意見、というのは自分の"考え"ですから

"考え"に対して批判、意見されたら、

その"考え"を立証する、あるいは間違ってるなら

正しく、変更する、、というのがあるべき姿ですよね。


しかし人はムカッとイラッと

感情的に反応してしまいます。


ちなみにこのように感情的に反応すると

思考力は激落ちするので、もうまともに

ものごとを考えられる状態ではなくなってしまいます。


怒って興奮してるチンパンジー状態です。


怒って興奮してるチンパンジーには

人間がとりあつかう冷静な論理的な話が

通じないのは、なんとなくわかりますね(笑)



※もし、自分の意見を批判されてスグに感情的に

 なってしまうなぁと自分で思うなら、怒ったチンパンジーを

 思い出してください。それを思い出せるだけ冷静になれますw


このような背景から

人は意見の対立(ケンカ)を嫌うものです。


しかし、この本で言われていたのは、

「意見の対立を通して尊重は得られる」

ということでした。


尊重とは相手を一人の有能な働き手として

尊重する。同じチームの仲間として尊重する

ということです。


意見の対立とは、

読んで字のごとしで、「意見」であって「事実」

ではありません。


「事実」は対立しません。


「事実」は明らかにある方向を指していて、

それが人によっては、右に見えたり、左に見えたり、

という事はありません。


そして「事実」には

疑問の余地がありません。


事実に対しては、イラッとかムカッとか

感情的反応もありません。


事実は事実なわけです。


なので、「意見の対立」が起きる原因は

事実が見えてないという事だったりします。


意見を対立させあった方が、

その意見の根拠などを突き詰めて知る事が

できるので、


より良い判断

より良い決定


ができると思いませんか?


そして、その意見を対立させあうプロセスの中で

よりお互いの理解が深まり、より決定の質が上がったりするわけです。


だれかがオモシロい事を言っていました。


「考える事は批判することだ」と。


ぼく自身も、たとえば部下からのレポート

セールスライターやマーケ担当者の企画のレビュー

などをする時、基本的には相手の出してきたものを

批判する傾向があります。


なぜなら、

「おーいいね!ないす、それで行こう」

なんて言ってたら存在意義がないからです。


批判をすることによって、

相手の思考をより研ぐことができます。


僕自身も批判されることで、根拠のなさや

おかしな論理に気づいて、考えをより研ぎすまし

より良い考えにすることができます。


※なのでぼくがあなたの意見、アイディア、企画を

 批判していたらそれは、あなたが嫌いなわけじゃなく

 あなたの考えをダイヤモンドで磨いているだと・・・

 思ってください(笑)